【岩手県】■浄法寺塗 じょうほうじぬり

浄法寺塗とは?

岩手県盛岡市、二戸市、八幡平市、岩手郡滝沢村が主な産地であり、古くから暮らしの中で使われてきた椀、皿、盆、茶器、花器などの漆器。ほとんどが本朱、黒、溜色(ためいろ)の単色で、光沢を抑えた素朴な仕上げ。名称は産地である岩手県北部を中世の頃に支配していた「浄法寺一族」から取って付けられたもの。


商品・技術の特徴

岩手県二戸市浄法寺町は国内最大の漆の産地であり、その良質の原材料を使った滑らかで美しい見た目、耐久性の高さが最大の特徴。古来伝わる椀には飾りが付いたものもあるが、そのほとんどは無地であり、古くから日常使いの漆器として、庶民の生活の中で使われてきた。5年、10年と毎日使うと表面の艶が次第に増してくることも浄法寺塗ならではの味わいである。

木地はトチやミズメザクラ、ケヤキなどの木を使って作られる。まず、生漆を染み込ませ、木地固めをする。これに木地の表面を滑らかにするために塗りを施し、さらに水で練った砥の粉と生漆を混ぜたものを塗り、耐水ペーパーや研ぎ炭を使って研磨して下地を作る。その上に最高品質の漆を刷毛の跡やホコリがつかないように専用の上塗部屋で塗り、そのまま乾燥させるか、あるいは仕上げの塗りの後に表面を磨く「蝋色塗り」をして完成させる。

歴史的背景

地元の人々が「御山(おやま)」と呼び親しむ霊山・八葉山の天台寺が浄法寺塗発祥の地といわれている。開山は奈良時代の神亀5年(728年)とされ、言い伝えによれば僧の行基が天台寺を建てた際に中央から派遣された僧侶が、自分たちが使うための器を作るために漆器作りの技術をもたらしたとされている。

天台寺の僧侶らは、漆器をやがて参拝者にも供するようになり、漆器とともに塗りの技術も庶民に広がっていったと考えられる。それらの漆器は「御山御器(おやまごき)」と呼ばれた。地元で御山御器とは飯椀、汁椀、皿の三椀を指し、普段使いの漆器として庶民に親しまれ、その呼び名は今も当地に残っている。

江戸時代にはこの地を支配していた南部藩の名産となり、産地は天台寺周辺だけでなく、隣町にあたる旧安代町付近にまで拡大。藩主への献上品として金箔を施した雅な漆器「箔椀」も作られた。

明治時代になると、箔椀は廃れたものの御山御器をはじめとする庶民の漆器は需要が高まり、大正から昭和にかけて国内で普及するとともに、農民向けの庶民椀として、朝鮮や中国など海外にも販路が広がっていった。

戦後、洋風文化が流入すると一時期途絶えそうになったが、関係者の努力により継承され、今も原料の調達から製品作りまで全てを地元でまかなう浄法寺塗の伝統が息づいている。余分な彩色や模様がなく、黒漆、朱漆で仕上げる素朴な外見は、いかにも僧侶たち築いた工芸らしい風合いといえるだろう。

認定要件(※伝統的工芸品認定に伴う「告知」より)

【技術・技法について】
1.下地造りは、次のいずれかによること。
(1)「蒔地下地」にあっては、精製漆を塗付し、地の粉又は炭粉を蒔付けた後、精製漆を用いて「粉固め」
 をすること。
(2)「漆地下地」にあっては、精製漆を塗付しては水研ぎをすることを繰り返すこと。

2.塗漆は、次の技術又は技法によること。
(1)「下塗」及び「中塗」をすること。
(2)「上塗」は、花塗又はろいろ塗とすること。
3.加飾をする場合には、「漆絵」、「粉蒔絵」(漆で描いた文様の上に金や銀などの金属粉や貝粉を撒いて
 器面に定着させたもの)又は、「南部箔絵」(金箔と蒔絵を施したもの)によること。


【原材料について】
1.漆は、天然漆とすること。
2.木地は、次のいずれかによること。
(1)挽き物にあっては、ケヤキ、ホオ、トチ、ブナ又はこれらと同等の材質を有する用材とすること。
(2)指物にあっては、ケヤキ、ホオ、ヒバ又はこれらと同等の材質を有する用材とすること。

事業者数:11社(秀衡塗を含む)

従業員数:32名(秀衡塗を含む)

主な事業者

艸工房
鰹法寺漆産業
滴生舎
うるみ工芸

業界団体

岩手県漆器協同組合
〒029-0523 岩手県一関市大東町摺沢字但馬崎10
Tel. 0191-75-3153
昭和49年設立

出荷額

約2億円(秀衡塗を含む)

その他

*昭和60年に経済産業大臣により、「伝統的工芸品」に指定されている。

*経済産業省が認定する「伝統工芸士」は11名(秀衡塗を含む)。