宮城県旧鳴子町(現在の大崎市)に伝承される、木目を生かした木地呂塗りやふき漆仕上げ、独特の墨流し技法の竜文塗などの美しい「塗り」を誇る盆、茶托、重箱、菓子器、汁椀等の日用生活用品。
鳴子漆器の大きな特徴の一つが「塗り」。透明な漆で仕上げ、使うたびに木目の美しさを浮かび上がってくる「木地呂塗り」。また、顔料を加えていない漆を木地に塗り、ふき取る作業を何度も繰り返し、漆の色を表面に残して仕上げる「ふき漆仕上げ」。さらに墨を流したような模様を作り出す、鳴子独自の技法である「竜文塗」など、塗りの種類は様々であり、いずれもしっとりとした輝きを放つ。中には、中塗りをした後に蒔絵によって加飾するものもある。日用品として生活のなかにあっても全く違和感がなく、素朴な美しさを奏でる逸品である。
製造は木地造り、下地造り、塗漆、加飾の4つの工程からなる。木地造りでは焼き物、角物、曲げ物の3種類のいずれかを製作。下地造りでは漆本下地、さび下地、渋下地などによって施す。その後中塗りを経て、花塗やろいろ塗で仕上げる。蒔絵による加飾を施す場合もある。
起源は今から400年近く前の、江戸時代初期の寛永年間(1624年〜1643年)とされている。仙台藩主・伊達氏の分家である岩出山藩の三代城主伊達弾正敏親が、鳴子漆器の振興を図るべく、修行のために塗師の田村卯兵衛と蒔絵師の菊田三蔵を京都に派遣した。その二人が漆器産業の基礎を作り、以後の鳴子漆器の隆盛につながったと伝えられる。
18世紀後半に書かれた「鳴子村風土記書出」には木地挽物や塗物が鳴子の名産として記録されていることから、漆器は当時既に鳴子の主要産物だったことがうかがえる。また19世紀初頭に記された「漆出高記」には、鳴子で漆の採取が実施されていたことも記録に残っている。
その後、多くの技術革新を遂げながら、鳴子漆器は現代に継承されている。特に墨を流したような模様が特徴の「竜文塗」は、昭和26年(1951年)に沢口悟一氏によって考案され、鳴子独自の変わり塗りとして、広く周知されている。
【技術・技法について】
1.木地造りは、次のいずれかによること。
(1)挽き物にあっては、ろくろ台及びろくろがんなを用いて成形すること。
(2)「角物」にあっては、「挽き曲げ」(板材の曲げる部分に鋸で何条かの浅い挽き目を入れて曲げる方法)、
「留組み」(木材の合わせ面を45度の角度にして直角に合わせ組む方法)又は「ほぞ組み」
(ほぞとほぞ穴を作り接合させる方法)をすること。
(3)曲げ物にあっては、「ころ」を用いる「曲げ加工」をすること。
2.下地造りは、次のいずれかによること。
(1)木地呂塗にあっては、「漆本下地」(生漆に地の粉を混ぜたものを下地として木地に繰り返し塗るもの)
又は「渋下地」(柿渋に木炭の粉を加えたものを下地に塗ったもの)によること。
(2)「朱塗」、「溜塗」(赤い漆の上に透漆をかけるもの)、「黒塗」又は「叢雲塗」
(朱漆など上塗を施した後、灯油の灯火から発する油煙を当て、黒雲のような模様をつけるもの)
にあっては「漆本下地」、「さび下地」(生漆に水で練った砥の粉を混ぜたもの(錆漆)を数回塗って
下地とするもの)、「蒔地下地」(生漆及び炭紛を用いる「掛地」をした後、生漆を用いて地塗りをするもの)
又は「渋下地」によること。
3.塗漆は、中塗をした後、「花塗」又は「ろいろ塗」によること。
4.加飾をする場合には、蒔絵によること。
【原材料について】
1.漆は、天然漆とすること。
後藤漆工房
瀾漆工房
鳴子漆器協同組合
〒989-6822 宮城県大崎市鳴子温泉字新屋敷122-2
*平成3年に経済産業大臣により、「伝統的工芸品」に指定されている。
*経済産業省が認定する「伝統工芸士」は5名。