【茨城県@】結城紬(ゆうきつむぎ)

@概要(定義・指定要件)

結城紬は、古来より茨城県結城市と栃木県小山市周辺で生産される紬織物である。大島紬と共に2大紬の1つとされ、軽くて暖かい着心地は、絹織物の最上級品として評価が高い。その品質の高さは江戸時代の百科事典に紹介され、森鴎外や太宰治など日本を代表する文豪が、着物の代名詞として結城紬という表現を使ったほどである。

 20以上に及ぶ工程は全て手作業で行われるが、@糸はすべて真綿から手つむぎしたもの、A絣の模様をつける場合は手くびりによること、B地機(じばた)で織ること、の3要件を満たしたものは、国の重要無形文化財に指定される。このほかにも、幅・長さ・打ち込み数や模様ずれなど厳しい検査に合格することが必要である。なお、2010年にユネスコ無形文化遺産にも登録された。

A特徴

結城紬は絹織物の原点であるとされる。国の重要文化財の指定要件である、全て真綿から手紡ぎした糸を使う、絣模様は手くびりによること、地機で織ることは、何も結城紬に特別な工程であったわけでなく、むしろ全国各地の紬は昔は同じ作り方をしていた。全国の産地が、動力式の織機に変えたり織りやすい糸を使用するようになる中で、本場結城紬だけが唯一変わらずに古来からの製法を維持している。

それだけでなく、結城紬は絹の最上級品としても評価が高い。他の織物と違って縦糸が太く横糸が細いために目の詰まった糸になり、しゃきっとした着こなしとなる。肌触りは軽くて柔らかく、空気を含んで保温性に優れる。そのうえ丈夫でしわになりにくい。洗い張りをすると光沢を増し、染めが鮮やかになる。こうして、一度着たら手離せないと言われるほどの高い評価を勝ち得ている。

B産地

茨城県結城市並びに栃木県小山市、下野市周辺

C歴史

結城紬の起源は、『常陸国風土記』によれば、古代より織られていた「長幡部?(ながはたべのあしぎぬ)」という織物が由来とされる。中世には、「常陸紬」の名称で織られており、室町時代にこの地方を治めていた結城氏によって室町幕府や鎌倉管領へ献上されたことから「結城紬」の名で呼ばれるようになったとされている。また近世には、初代代官としてこの地を治めた伊奈備前守忠次が、京都・信州から織工を招き織物技術の改良を行った結果、結城紬の名声を高めた。 1956年に国の重要無形文化財に指定され(平織りのみ)、1977年には経済産業指定伝統的工芸品として承認された。さらに2010年にはユネスコ無形文化遺産リストに登録されている。

D産業の現状(出荷額、産業人口などを含めて)

 結城紬の評価は変わらず高いものの、生産量(検査反数)は1980年の31,288反をピークに減少が続き、2008年には初めて5,000反を割り込み、2011年には2,066反となり、実に30年間で生産量がピーク時の約7%に減少した。茨城県・栃木県の生産者の合計数でも、2011年時点で156名であり、最盛期1,700名であったものの10分の1以下に減少している。販路拡大と後継者育成が重大な課題である。

E主な事業者、職人

本場結城紬卸商協同組合の組合員11社が主な事業者である。江戸時代や明治時代から続く老舗企業が多いことが特徴である。また、伝統工芸士には、製糸部門4名、製織部門37名、染色部門39名の計80名が登録されている。

F新たな取り組み、産業の広がり(近年の活動内容等)

ニーズ開拓・販路開拓の取組みは意欲的に行われている。たとえば結城市の奥順株式会社は、15年以上前から洋服への展開を目指して広幅生地の研究を行ってきたが、近年、自社の洋服ブランド「YUKI OKUJUN」を立ちあげ、結城紬の特徴を最大限に活かした高級ショールをはじめ、服(コートなど)、ニット等の開発に取り組んでいる。 また、後継者確保の取組みとして、茨城県工業技術センター繊維工業指導所では、毎年「結城紬後継者育成研修」を実施し、年間数名の研修生を受け入れている。かつては徒弟制度の中で技能伝承されてきたが、現代では研修制度をワンクッションに置くことで希望者と機屋側の双方のリスクを減らそうとするものである。