【茨城県B】真壁石燈籠(まかべいしどうろう)

@概要(定義・指定要件)

「真壁石燈籠」の原材料となる真壁石は、茨城県西部に位置する常陸三山(筑波、加波、足尾)から産出される硬質で堅牢な岩石である。加波山麓の桜川市内、真壁・大和一体は遥か石器時代から石の産出・利用が盛んであったが、江戸中期には真壁石燈籠が地域の神社に奉納されるようになり、江戸末期以降、その伝統技術が子弟相伝で伝えられてきた。真壁石本来の素材の良さと、繊細優美な伝統的な石材加工の技術は、1995年に伝統工芸品に指定された。

A特徴

真壁石燈籠の特徴は第一に原材料となる真壁石にある。この石は、およそ60万年前に生成されたとされる石英・長石・黒雲母からなる花崗岩で、“こみかげ石”“常陸こみかげ石”とも称されている。優美・堅牢で、目が揃っていて変色しない、つや落ちがしない、水分が上がらないなど、非常に良質で建築物や墓石などにも使用されている。 明治32年の迎賓館造営の際にも使用され、真壁石の良質さが広く世に知られるところとなった。その他にも、皇居の縁石、三越本店、筑波研究学園都市の建設など、著名な建築物に多く使用されている。 もう一つの特徴は、子弟相伝で伝承されてきた石材加工の高度な技術である。真壁石燈籠には春日型・雪見型などがあり、完成までには18の伝統技術・技法が使われる。彫りに使う鑿(のみ)も、角切り・中切り・荒はつり・角・座つきノミと多種にわたる。これらの道具もまた石材工芸の研鑽の歴史を引き継ぐものである。

B産地

茨城県桜川市真壁地区である

C歴史

真壁地方は、山岳信仰の対象となった常陸三山に囲まれたまちであり、「石」という素材そのものが畏怖や信仰の対象物となったと考えられる。
 真壁地方の石材業の起こりは、室町時代末期に真壁町長岡地域一帯ではじめられた仏石づくりにあるとされ、古碑・五輪塔、仏石など数多くの遺物が残されている。
 江戸時代に入ると常夜燈として真壁石灯籠が地域の神社に奉納されるようになる。その後、当時の石材工芸の先進地であった信州高遠の石工との交流が行われ、技術的・形態的に影響を受けた。
 真壁石燈籠の技法・技術は江戸時代末期の石匠・久保田吉兵衛(くぼたきちべい)の出現によって確立され、以降、子弟相伝による石工の後継者作りが始められ、伝統技法の定着が図られるようになる。
 明治時代になって欧風文化が入るに伴い、真壁石は建築用材として利用される、産地としての真壁も火薬を使った採石事業が開始され、本格的な開発・企業化が開始される。
 昭和時代に入ると、鉄筋コンクリート建築の普及によって石の需要が低下する一方、伝統工芸としての真壁石燈籠の製作が盛んとなり、真壁石燈籠の産業化が行われるようになる。戦時中はいったん停滞するものの、戦後はふたたび隆盛の一途をたどる。造園ブームに伴う石燈籠の需要増、高度成長期における日本各地で建築用石材の需要増、バブル経済崩壊後の需要減など、時代の影響を受けつつも、独自の伝統技術を貫いて現在に至っている。

D産業の現状(出荷額、産業人口などを含めて)

※要調査

E主な事業者、職人

真壁石材協同組合には100以上の事業者が加盟しており、伝統工芸士には24名が登録されている。

F新たな取り組み、産業の広がり(近年の活動内容等)

真壁石燈籠の現代的価値を再発見してもらったり、職人(伝統工芸士)に触れてもらうためのイベントして、近年では、「ふれる、感じる 伝統的工芸品展」(2011、東京ミッドタウン)、「日本の誇り伝統的工芸展」(2011、横浜高島屋)、東京インターナルギフトショー(2013、東京)など多数のイベント出展が行われている。
また、真壁でも石材業者と中心市街地の商業者の間で連携が図られ、平成14年から始まった「真壁の夜祭り」や「真壁のひな祭り」では、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された真壁の通りに、思い思いの石燈籠を並べて美しい夜景を演出したり、筑波大学とのコラボレーション「石匠の見世蔵プロジェクト」を進めたりなど、学生や着地型観光と連動した取り組みも活発に行われている。