【栃木県】益子焼(ましこやき)

@概要(定義・指定要件)

益子焼は、栃木県芳賀郡益子町周辺を産地とする陶器である。益子焼と言えば、どっしりした肉厚の重量感、肌になじむ土の温かな質感、おおらかで艶のある塗りをイメージする人が少なくないだろう。これは、人間国宝である民芸派の陶芸家:濱田庄司(1897〜1 978年)の流れを直接的にくんだものであり、今でも益子焼の揺るぎない原点となっている。一方、産地としてはまだ新しい益子は自由で気さくな気風を誇り、陶芸家たちが国内外から集まってきている。民芸様式を尊重しつつも、それぞれの陶芸家の個性を生かした自由な作風の焼き物を楽しめるのも益子焼の魅力である。


A特徴

益子焼の特徴といえば、まずその土にある。砂気が多くざくっとしていて必ずしも焼き物に最適な土とはいえない。しかし登り窯で薪(まき)を燃やし、柔かい火で数日かけて焼き上げると、釉薬が土にしみこみ薪の灰が表情を与え、洗練された陶器とは異なる温かみのある質感を生み出す。
もう一つの特徴は、釉薬と模様付けである。益子を代表する釉薬は、前述の濱田庄司が育てた柿釉(かきぐすり)であり、地元の山の岩を砕き、粉末にして水に溶くと、秋の夕焼けのような赤褐色に発色する。これ以外にも釉薬は多彩であり、透明釉を基本に、灰釉、飴釉、黒釉など落ち着きのある渋い色合いのもののほか、藁や木、糠(ぬか)の灰などを用いた白釉などが使用されている。
これらの上に白泥を刷毛でなでつけたり、櫛状の道具で引っかいたりして模様をつける。ひしゃくに入れた釉薬をたっぷりとしたたらせる「流しかけ」というダイナミックな技法も、職人の生きざまをそのまま表現する益子らしい技法である。
益子焼、そして益子は現在進行形で進化を遂げている焼き物であり産地でもある。現代の益子を語るのに、もう一人の「ショウジ」である加守田(かもだ)章二(1933〜1983年)の存在を抜きにすることはできない。益子にアトリエを構えた加守田は、造形も装飾もこれまでの日本の陶芸にはなかった独創的な焼き物を次々と創り出した。この結果、加守田自身が陶芸界の鬼才と絶賛されるとともに、益子にとっても新しい価値観を打ち立てた。こうして現代の益子は、実に多種多様な作風が、伝統的な民芸様式に入り混じって生産される稀有な産地となっている。

B産地

栃木県芳賀郡益子町周辺を産地とする。

C歴史

その起源は、1853年に、笠間焼の産地である茨城県笠間で修業した大塚啓三郎が窯を開いたことに遡るといわれる。創業当初より黒羽藩の保護を受け、大消費地である江戸に向かって主に日用品として陶器が生産された。しかし明治末期ごろになると、生活様式の変化や生産過剰によって売れ行きは悪化していった。
益子に大転換をもたらしたのは、1924年、濱田庄司の益子移住と作家活動開始である。民芸運動の推進者であった濱田は、民衆の日常生活の中に厳然と息づく美しさである「用の美」を追求し、大らかで生命感のある民芸的な作風で、食卓用の器や花器などを作った。これに他の陶工たちも同調した。民芸陶芸としての益子焼は国内外で高く評価され、益子は世界中に知られるほどの産地となった。
次の転機は加茂田章二の登場である。1959年に益子にアトリエを構えた加茂田は、灰釉にはじまり、曲線彫文、彩陶などへ次々と展開していき、日本陶芸界の旗手となった。様式ではなく個人の表現を重視した加茂田の生き方は益子の名にさらに高め、全国や国外から陶芸家を引き付ける産地となった。
このようにして現代の益子は、実に多種多様な作風が伝統的な民芸様式と入り混じって反応し合う、たいへん興味深い産地となっている。

D産業の現状(出荷額、産業人口などを含めて)

2010年度調査によると、益子焼関係の事業所数は約300(蔵元約260、陶器店約30)、従事者数は約750人であった。2007年度との比較では事業所が8%減少、従事者数は12.7%の減少である。また、陶土使用量では2010年度の2800トンは2007年度比で18%の減少であった。

E主な事業者、職人

129名の組合員を擁する益子焼協同組合が、原材料の共同生産や技術継承、販路開拓事業などを行っている。窯元は、濱田庄司の孫が営む「濱田窯」や、ギャラリーやカフェ、陶芸教室などを備えた最大規模の窯元「つかもと」など、大小さまざまな260の窯元が存在する。認定工芸士は成形部門で10名である。

F新たな取り組み、産業の広がり(近年の活動内容等)

近年での取り組みとしてイギリスを足掛かりとして世界への進出戦略がある。もともと濱田庄司は、日本の民芸運動や白樺派とも関係が深かったイギリス人陶芸家・バーナード・リーチと親交が深く、1920年、ともにイギリスのセント・アイヴスという町に移って日本式の登窯「リーチ・ポタリー」を開設した経緯があった。
こうした背景を受けて、2012年、益子はセント・アイブスは正式に友好都市を締結し、それを皮切りにロンドンでのインテリア見本市への出品を行う。陶芸関係者から一般の若者まで反応は上々であり、さらに見本市を訪れた別の国のバイヤーからも声がかかったという。益子は世界に向けたブランド発信の第一歩を踏み出した。
また地元では、益子焼を知ってもらうための機会創出として、年2回、春のゴールデンウイークと秋の11月3日前後に「益子焼大陶器市」が開催され、数十万人の人出でにぎわうビッグイベントとなっている。