【長野県@】信州紬(しんしゅうつむぎ)

@概要(定義・指定要件)

信州紬は、長野県全域で生産される絹織物の総称であり、生産される地域によって「松本紬」、「上田紬」、「山繭紬」、「飯田紬」、「伊那(いな)紬」などと呼ばれている。1975年に伝統的工芸品として指定を受けている。自生する植物染料で糸を染め、縞や格子の柄が中心である。
産地ごとの違いを見ると、上田紬は縞や格子柄を基調とする、松本紬は天蚕糸で織られたものを特に「山繭(やまこ)紬」と呼ぶことがある、飯田紬は素朴な手織りが特徴、伊那紬は昔ながらの伝統を色濃く残すなど、それぞれに豊かな個性がある。 なお、産地組合は長野県織物工業組合である。

A特徴

信州紬の特徴は、渋い光沢と民芸的格調の高い染めにあるといわれる。原料に生糸、天蚕、玉糸、真綿の手紡ぎ糸を用い、草木を主とした染料と古来から伝わる染め技法による「草木染め」によって縞、格子、絣、無地調などの染めが行われる。この草木染めは、同じ色が二度と出ないといわれるほど繊細な作業である。これを「手機(てばた)」とよばれる織機で、一反一反手仕事で織ることにより一点ものの風合いや素朴さが引き出される。また、緑色の繭を作る「天蚕(やまこ)」から繰った糸を原料に使うこともあり、この糸で織った紬は軽く丈夫であり、親・子・孫の三代にわたって着られると言い伝えられている。
生産体制の面は、信州紬という総称で伝統工芸品に登録されたのちも各地で独自性をもったものづくりがされているという「広域分散型」の特徴、他産地と違って分業ではなく、各企業が織物の全工程を一貫して行うという「一貫生産型」の特徴がある。

B産地

長野県の上田市、飯田市、松本市、岡谷市、駒ヶ根市周辺

C歴史

信州(長野県)は、「蚕の国」とも呼ばれる、古くから養蚕が盛んな土地であり、信州紬の起源は、奈良時代に織られていた「あしぎぬ」に遡るといわれている。
江戸時代の初期に信州の各藩が産業政策として養蚕を奨励し、生糸や真綿など手で紡いだ糸を利用した紬織物が農家の副業として織られ始めた。同じころ、染めに使える草木が豊富に自生していたため、草木染の技法も普及した。こうして信州全域が紬の織物産地として栄え、寛延年間(1748年〜)から明和時代にかけて、毎年のように紬が京都に出荷されるようになった。
その後、紬織物の生産は下火となり、昭和中期までは技術保存目的で細々と技術継承が行われてきたにすぎなかった。戦後、県の振興策やおりからの紬ブームが加わり、再び県下全域で活発な生産が行われるようになり、現在に至っている。

D産業の現状(出荷額、産業人口などを含めて)

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E主な事業者、職人

株式会社宮坂製糸所(生糸製造)、久保田織染工業株式会社(伊那紬)、有限会社藤本(飯田紬)、織処 丸重(信州紬)、那美屋織物(飯田市)をはじめとした各企業が製造販売等を行っている。伝統工芸士には、皇后陛下に天蚕のスカーフを献上し、長野オリンピック公式写真集の表装なども手がけてきた小栗弘平氏など16人が登録されている。

F新たな取り組み、産業の広がり(近年の活動内容等)

繭から織物まで作れる一貫生産型の生産体制を活かし、より付加形の高い商品を生産しようと、長野県では信州繭ブランド織物振興会や、ナガノハンドシルク研究会が設立され、それぞれ特徴的な取り組みを行っている。
信州繭ブランド織物振興会は、グレードアップ商品として茶席でも着れるような高級感のある信州紬の開発、差別化商品として物語性のある蚕品種や超極太生糸等特殊糸を使用した他産地にはない商品の開発が取り組まれている。
ナガノハンドシルク研究会では、絹関係企業(製糸、染色、織物、販売)と服飾関係企業(縫製、デザイナー等)の12企業によって、絹とアパレル、ファッションのコラボレーションで、絹の良さを再発見し次世代に継承していく取り組みが実施されている。この会では、繰糸工程の副産物である「きびそ糸」を使用した「きびそNAGANO」、セリシン定着生糸による製品開発など意欲的に行われている。