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BRIレポート
地域のお宝ブランド発掘! Brand List No.4  『おざんざ』

原料に納豆?歯触りモチモチ、ノドごしつるりの希少うどん


原料は小麦粉、玉子、そして納豆。1袋367円(税込)注文は河昌製麺舎((0261-22-33200)まで。
 これは、まさしく“世界で唯一無二の麺”である。原料の欄には、小麦粉、玉子、そして、「納豆」と書かれているのだ。商品名は「おざんざ」。出自は長野県北西部の豊かな水源に恵まれた大町市である。信濃地方では、古来、うどんやそばなど、長い食べ物のことを、「ざざ」、「おざんざ」と呼び、招来の客をもてなしたとされている。その地方ゆかりの方言をそっくりそのままちょうだいしたというわけである。

 食品上の種別は、「うどん」である。しかし、その製法はまさに特殊というほかない。製造特許を取得している独自技術で納豆のネバネバの糸部分から酵素を抽出し、玉子、小麦粉を混ぜ合わせて、丹念に練りこむ。この酵素が一般的なうどんの原料として使われる「塩」の代役となる。つまり、塩を一切使っていないため、塩分を控え目派には有難いうどんなのである。

 太さは一般的なうどんとそうめんの中間くらい。さらに、食感は歯ごたえがあり、どことなく納豆を連想させるモチモチ感もある。噛むごとに小麦粉の旨みがジワジワと表出してくるようで、これも納豆の効果かと思わせる不思議な食味を醸す。そして、のど越しはつるり。味わい深く、後味爽やかな、まさしく未体験な麺がこのおざんざなのだ。

 納豆といえば茨城県の水戸が有名だが、長野も実は全国有数の納豆どころ。信州味噌に使う地元大豆を利用した納豆作りは昔から盛んだ。ただ、いかに地元の食材を使うといっても、納豆(正確には納豆の酵素)を生地に練りこむとは突飛な発想。この食材のルーツには否が応にも興味がそそられてくる。

小学生が納豆を売りに来る原風景


夏場は冷やして食べるのが常道。そうめんともうどんとも違う食感に思わず舌鼓
 「おざんざ」の生みの親は、大町市で老舗旅館「河昌」を築き、今も会長を務める一方で、現役の板前として腕も振るっている水口裕義さん(77歳)である。早速納豆を使った理由を尋ねると、当時を振り返り、静かに語り始めた。

 ここで、農協は産地としての生き残りを図るため、大きな決断をする。「それが、選果でした。つまり、品質の基準を設け、基準より小さいなど規格外のものは農家に突き返すなど、厳しいチェック体制をしいたのです。これが、品質の高いものだけが残ることにつながり、結果的にたっこにんにくの評価の向上に大きく貢献することになりました」(川村氏)。

 「終戦後すぐのころ、私が20歳くらいのことだったかな、よく小学生くらいの子供が家に納豆を売りにきてね。けな気な様子に心を動かされて、毎日のように買ってあげていたんですよ。そんなこともあり、納豆は若い時分から欠かさず食べていた。その後、私は先代の父が営む割烹料理屋を継ぎ料理人としての道を歩んでいくわけですが、修行する中でも納豆のことが頭から離れず、何とかこの食材をうまく料理できないか、試行錯誤していた。油で揚げてかつおだしをかけて出したりしてね」。

 先代も研究熱心な料理人。地元の調理師会の会長を引き受け、他の料理人たちの先頭に立ち、そばやうどんを普及させるための新しい料理作りに励んだ。うどんに魚やあわびを練りこむなど、アイディアが次々と形になり、高級料亭のお品書きに加えられた。その影響からか、水口さんも自分がこだわる納豆を使ったうどんの試作に取り組み始めた。後の「おざんざ」につながる口火が切られたのである。

岡山の工場に直談判し製品化


昭和47年創業の老舗高級旅館「河昌」。一人の研究熱心な料理人の挑戦から、地域を代表する産品は生まれた
 水口さんは昭和47年に自らが開業した河昌の宿泊客に対し、作っては膳に並べ、また改良して作っては並べる日々を送る。

「2万食、いや3万食は作りましたかね。その都度お客さんの声を聞き、皆さん、うまい、うまいと食べてくださったので自信にはつながっていきましたね。そこで、もっと世の中に広めるために商品化して売ろうということになったのですが、いざやるとなると、なかなか踏み切れず、結局、最初の試作から10年の月日がかかりました」と、水口さん。

 そして、およそ25年前、いよいよ製品化に乗り出すことになる。生めんの状態で出荷すると、納豆が発酵を始めてしまうので、それは難しい。水口さんは乾麺化に活路を見出し、小麦どころであり、農家が手延べそうめんを副業で製造する麺どころでもある岡山県に乗り込み、現地の大規模な製麺所の社長に、半月工場の製造ラインを借りられるよう、直談判する。

 「社長の承諾を得て、何とか工場での生産に漕ぎ着けましたが、何せ納豆を使ったうどんですからね。職人はいい顔をしなかった。でも、感情に流されることなく、私は意気揚々と引き上げた。自信がありましたからね。案の定、見事な乾麺ができあがった。製品化は成功したわけです」。

商品名を「おざんざ」に変えて大ヒット

 製品化の目処がついたところで、水口さんは旅館を経営する地元大町市に新工場を建設する。製品名も「つららめん」と名付け、旅館のお土産として、また地元の特産品として販路拡大に努めた。しかし、これが思うように売れない。水口さんの妻である旅館の女将も、泊り客にこの風変わりなうどんを出すたびに、助言を求めた。すると、ある客が「この地方には『おざんざ』という方言があると聞く。商品名をそれに変えたらどうか」と発案。水口さんと女将は相談し、思い切ってその通りにしたところ、これが見違えるように売れ出し、大ヒットにつながる。「女将が掘り起こしてくれたんですね。改めてネーミングの大切さを学びました」。

 今では、1日平均400キロ、3200食分を製造するまで規模が拡大。工場は月に15日稼動し、月産は6トン、4万8000食分にも及ぶ。自社で通販やネットショップを展開しているわけでもないのに、全国から工場に次々と注文が舞い込む。冷やしてすするもよし。釜揚げにしたり、煮込んだりしてアツアツでほお張るもよし。全国の食卓に広がりつつある現状に目を細め、喜寿を迎えた考案者は自らの胸のうちを口にする。

 「私は料理作りにはいつも100%の力を込めている。自分の想いも込めているし、それは何にも負けないくらい強いもの。『おざんざ』も同じことです。将来的には『三輪そうめん』や『讃岐うどん』に肩を並べるような産品になればいいと思っています」。

2007年6月30日

 

 


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