日本人はいつから「獣肉」を食べるようになったのだろう。江戸時代までは「肉食禁忌」が原則で、基本的に4本足の動物は食べないのが慣わし。しかし、それは表立ったことであり、江戸中期を過ぎると、武士も町人もこぞって口にするようになる。「食べると精がつく」、「薬食、養生食」などと理由を付けては掟を破る。江戸では「けだものや」、「ももんじや」などと呼ばれる獣肉店が繁盛し、名物となっていたとも伝えられている。
獣肉店で振舞われたのは、今年の干支でもある猪。大っぴらに食べるのははばかれたことから「山鯨」という隠語で呼ばれたりもした。今では白い脂に縁取られた真っ赤な肉は切って皿に盛ると牡丹のように見えることから、牡丹肉、その鍋物は牡丹鍋などと呼ばれる。そして、鹿である。猪の牡丹に対し、鹿は紅葉。健康志向の江戸っ子たちはこの紅葉肉をことあるごとに胃の腑に落としていった。獣肉は身近な食材だったのだ。
しかし、現在は猪こそ提供する店がところどころに見られるものの、鹿を扱う店は北海道の一部を除いてほぼ消えてしまっている。そうした中、エゾシカを牧場で育て、専用加工施設で鹿肉として安全に処理し、ネットショップなどを通じて全国販売する企業が現れた。北海道阿寒町にある北泉開発である。同社は元々石材の販売会社だが、2005年から自社所有の敷地内に山の斜面を利用した6haの養鹿(ようろく)牧場を開いた。牧場は外周1kmを高さ2.8mの鉄製フェンスで囲い、1haの採草地、白樺などの天然樹木が自生する3haの山林地、水飲み場となる大きな池がある湿地、1haの平坦地で構成された本格的なもの。加工施設は衛生的に解体処理から製品加工まで担える近代的な設備を誇る。
牧場内で飼育されるエゾシカは、被害対策の一環として阿寒湖畔の山林で餌付けし、囲いわなで生け捕りにした野生種。牧草のほか、フスマ、大麦、トウモロコシなどの餌を与え、一年を通して、肉質の安定を確保している。また身を隠せる森林を設けるなどエゾシカにストレスを与えない工夫もなされている。従来、ハンターにより捕獲され道内の一部の料理店で出回っていたものとは一線を画する、手塩にかけて育てられ衛生的に加工された鹿肉が、ここで生まれ、商品名「阿寒蝦夷鹿もみじ」として、全国に出荷されているのだ。
臭みはなく、噛むほどに広がる旨み、甘味
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左が程よく脂が乗ったばら肉、右がレバーのような深い赤みを見せるもも肉 |
物は試しと、同社の製品を取り寄せてみる。もも肉とばら肉が半々にパックされた「モモバラスライス500g×2袋」(4725円)である。色味は牛肉よりもさらに濃い深紅。焼いてみると、牛肉のような焼き色を付け始めた。専用のタレに程よく浸し、おもむろに口に放り込む。すると、どうだろう。想像していたような臭みはなく、肉質も実に柔らかい。もも肉は噛むほどに旨みが口いっぱいに広がってくる。ばら肉からは独特の甘さが滲み出し、舌を四方八方から包み込む。試食会に臨んだ全員が「うまい」、「牛肉と豚肉の中間くらいの独特な味わい」、「全くしつこさはなくこれなら何枚でもいける」と口々にコメント。用意された1kgの鹿肉はあっという間に平らげられてしまったのである。
牛肉とも豚肉とも異なり、ラム肉を用いるジンギスカンとも違う、美味の新発見。食味に加えて、高タンパク・低脂肪であることも見逃せないメリットである。大学機関がまとめたレポートによると、鹿肉ロースのタンパク質は肉全体の21.0%〜26.6%を占め、牛肩ロースのほぼ2倍。脂質は平均3.0%で牛肩ロースの10分の1程度。「網焼きで十分に脂を落として」などと気にすることなく、鉄板やフライパン焼きでも、安心して食べられる。実際にフライパンで鹿肉ロースを焼いても、ほとんど脂が出てこない。ダイエットや健康を気遣う人にとっては格好の食材なのである。
“害獣”を地域おこしを担う“資源”に
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鹿牧場内の餌場で牧草をはむエゾシカ。至れり尽くせりの環境で極上の肉質は生まれる |
もともと石材販売の会社だった北泉開発が、畑違いの食肉事業に進出したのにはそれなりのワケがある。事業を牽引する北泉開発代表者の曽我部喜市氏いわく、「公共事業が減り、道内の経済も厳しい状況が続く中、何とか地域の元気を取り戻したいという想いがあった。それにはニュービジネスへの進出が急務。そこで、私の息子が2004年に立ち上げた阿寒エゾシカ研究会からヒントを得て、日本で初めてエゾシカの牧場を開きました」。
阿寒エゾシカ研究会の報告によると、エゾシカは保護政策が進められる中、旺盛な繁殖力により1993年の推定20万頭から2004年には90万頭前後に激増。阿寒国立公園の原始の森の樹皮や幼樹が食い荒らされる食害や交通事故の多発など深刻な被害が広がり、道東だけでも被害額は17億円以上に上るといわれている。対策として、98年にはハンターが年間7万頭以上を捕獲したが、ハンターの高齢化が進み、捕獲数は減少の一途。また、捕えられたエゾシカの多くが廃棄処分されている現状もある。「被害を減らし、なおかつ資源として活用できる方法はないか。それで思いついたのが養鹿事業による食肉への転用でした」
同じように鹿の食害に悩まされた国がある。海の向こう、南半球に位置するニュージーランドだ。50年前に鹿の家畜化を始め、今では世界最大の養鹿大国となり、鹿肉が高級食材として流通する欧州やオーストラリアに輸出。貴重な外貨獲得手段となっている。曽我部氏も養鹿先進国に自ら足を運び視察。このビジネスに手応えを感じ、進出を決意した。
“第二のジンギスカン”となるか
2005年に養鹿牧場を開設し、現在は650頭を飼育。5月末から夏にかけての2ヶ月はベビーラッシュとなり、個体数の増加が期待される。「鹿のメスは2歳なら8割、3歳以上なら10割が毎年出産すると言われている」と指摘する曽我部氏。生け捕りと小鹿の誕生で規模の拡大を図り、鹿肉の大量かつ安定的な供給体制を整えていくのが当面の目標だ。
日本初の試みへの関心は高く、既に200以上の企業・団体が養鹿牧場への視察に訪れているという。札幌を中心に大手ホテルや大手百貨店の引き合いもあり、普及への足がかりは築きつつある。一方、全国販売のチャネルとなるネットショップでは、モモバラスライスのほか、背ロースブロック、モモ肉ブロック、シャブ肉スライス、ミンチ肉、肩肉ブロックなどをラインナップ。資源を残さず活用するため、雑肉を用いたスープカレーなども新商品化して売り出している。
<「いくら養鹿がうまくいっても売れなければ話にならない。だから、新製品開発やネットショップの積極展開を進めると同時に、大手ホテルやレストラン、百貨店などに今後も積極的に売り込みをかけていく。じっくりと事業規模を拡大し、明日の北海道の地域産業に育てていきたい」と意気込む曽我部氏。一足先に成功を収めているニュージーランドの背中、さらには同じ北海道発で一大ブームとなった「ジンギスカン」の後を追いつつ、北海道阿寒町での挑戦は続いていくのである。