地域団体商標
 
 

Google ホームへ

tiiki.jpを検索
ネット検索
 

このサイトは、BRI ブランド総合研究所が運営しています<会社情報> お問い合わせは専用フォームでお寄せください

BRIレポート
地域のお宝ブランド発掘! Brand List No.7『打木赤皮甘栗かぼちゃ』

赤い、甘栗、煮崩れなし?かぼちゃらしくない“非常識な”かぼちゃ !


見た目はまるでトマト。この日本的情緒を感じる控え目な赤が実に料理に映えるのである。
 「えっ、これがかぼちゃ?」。石川県金沢市北西部に位置する打木町では、誰しもが目を疑いたくなるようなかぼちゃをつくっている。かぼちゃの色といえば、普通濃い緑だろう。百歩譲って黄色やオレンジなら目にしたことがあるかもしれない。しかし、「打木赤皮甘栗かぼちゃ」の色はそれらの範疇を超える。「赤」なのである。大きさも一般的なかぼちゃよりひと回り小さく、重さは1.1kg程度。さらに、かぼちゃのトレードマークでもある縦じま模様や切れ込みの入った筋はない。シンプルな赤一色で表面はツルリ。実に上品な面持ちなのだ。

 肝心かなめの味はというと、これが甘栗のようなのである。かぼちゃは野菜のうちでも甘さは際立つ部類だが、その中でもさらに輪をかけて甘いのである。また、果肉は厚く粘りがあり、いくら煮込んでも煮崩れないという。あの煮加減が非常に難しいかぼちゃの煮つけも、これなら失敗知らずということになる。そして、この鮮やかな赤。料理にアクセントが加わり、彩り豊かになる。味、性質、見た目までもが、かぼちゃらしくないかぼちゃ。「打木赤皮甘栗かぼちゃ」は、言ってみれば“非常識な”かぼちゃなのである。

昔は赤いかぼちゃが主流だった

 「打木赤皮甘栗かぼちゃ」のルーツを探るには、70年以上遡らねばならない。昭和8年、金沢市打木町に篤農家の松本佐一郎という人物がいた。その研究熱心な農民が福島県から、当時西洋かぼちゃに走りだった「赤皮栗」という品種を持ち込んだのがそもそもの発端だ。赤皮栗は、大正5年ごろ福島県の会津で開発された品種で、会津栗、甘栗とも呼ばれていた。それを打木町で生産しようと、着果性、色づきの良好なもの選抜し、懸命に育成した。

 努力の甲斐もあり、10年後の昭和18年ごろに品種が完成。戦後、新しい品種として発表され、金沢市の安原地区(現在の打木町を含む地域)で栽培が広まる。
 「それから、京都や大阪など関西を中心に普及して、昭和27〜28年には、京阪市場でかなりの人気が出た。もうその頃はかぼちゃといえば、この赤いかぼちゃが主流だったんですよ」と、金沢市農産物ブランド協会の手嶋重さんはいう。
 人気の秘訣は見た目の鮮やかな赤であり、厚い果肉であり、甘い味だった。その人気ぶりに目を付け、関西や関東地方でも栽培する農家が出始める。地元金沢でも料理の彩りとして、親しまれるようになった。

 しかし、強力なライバルが出現し、その地位はぐらつく。「えびすかぼちゃ」である。えびすかぼちゃは今でも最も多く出回っている品種のひとつ。濃緑な外皮に黄色い果肉の、いわゆるかぼちゃらしいかぼちゃである。料理したときのホクホク度合いが、粘り気の強い「打木赤皮甘栗かぼちゃ」よりも大きかった。その新しい食感に消費者は流れていく。一方で、生産農家も病虫害に強く、歩留まりも高いえびすかぼちゃに切り替えていく。市場での流通量が多くなり、価格も下がり、「赤」から「緑」への流れが加速。気がつけば、赤いかぼちゃに目を向ける人はほとんどいなくなってしまった。
 生産農家は、年々減り続ける。本家本元の打木町も例外ではない。かぼちゃ畑をスイカ畑に変える農家も少なくなかった。そして、最終的に生産農家は1軒だけになってしまったのである。

赤いかぼちゃ、「加賀野菜」ブランドで復活


「打木赤皮甘栗かぼちゃ」を収穫する西野さん夫妻。緑とのコントラストが鮮やかだ
 その最後の砦が、西野勇さんの畑だった。西野さんは転身を図る仲間たちを尻目に、一途に、父の代から作っているかぼちゃを育て続けた。西野さんが兼業農家だったことも幸いした。普段は金沢市内を走るバスの運転手。本業で収入は確保できる。また、毎日農業べったりとはいかない西野さんには、栽培に手がかからないかぼちゃは好都合だった。唯一の生産農家になってから20数年間もの間、西野さんは最後の灯を消すことはなかった。 

 一度去ったブームでも、粘り強く土俵際に残っていれば、また日の目を見ることもある。平成9年、行政や流通業界、農業団体などが一体となり、金沢市農産物ブランド協会が設立された。協会では、昭和20年以前から金沢で栽培されている野菜を「加賀野菜」として認定し、積極的にPRしていく方針を打ち出したのだ。そして、西野さんの「打木赤皮甘栗かぼちゃ」がそのひとつに選ばれる。そこから潮目が変わった。
 昔はスタンダードだったものが、一度市場から消えて、また復活するのはよくあること。60年代や70年代のファッションが逆に斬新に映りハヤリを見せるように、かぼちゃも「赤」や「甘み」が現代では「珍しい」「昔ながらの味」などと希少価値となり、人の心を捉えていく。

 加賀野菜というブランド効果も大きかった。かぼちゃには加賀野菜ブランドシールが添付され、小売店では「いいね金沢加賀野菜」と書かれたのれんやのぼりが店頭で翻る。「若い人はこんな野菜があったのかと手に取る。年配の方は逆に懐かしく感じ、買っていく。年々売れ行きがよくなり、市場からの引き合いも多くなっていきました」(手嶋さん)。
 需要があれば供給したい農家も出てくるのが必然である。平成16年には「JA金沢市砂丘地集出荷場赤皮かぼちゃ部会」が設立され、1人奮闘していた西野さんに新たな仲間が加わり始めた。平成19年には生産者は13人を数えるまでになる。西野さんもバスの運転手を定年退職し、専業農家に。西野さんが1人で作っていたときの収量は1トンにも満たなかったが、今では合計27トンに増えた。

出荷は6月〜9月、京阪中心で一部東京にも

 西野さんのかぼちゃづくりは春を迎える前に始まる。まず、3月上旬に種まき。1ヶ月後の4月上旬にある程度大きく成長したところで、円形状にビニールをかける。4月はまだ寒さの残る時期。ビニールにより冷気を遮断し、成長を手助けするのだ。これをその形状がトンネルのように見えることから。「トンネル早熟栽培」と呼んでいる。
 トンネルは5月に入ってから取る。それから10日ほど経つと、2mくらいに伸びたツルの先に花がつく。そこで、西野さんはミツバチを放つ。ミツバチは暖かさが増すごとに活発になり、自然と受粉が進む。それから40日以上おいた6月下旬。かぼちゃは赤く染まる。そこで、熟成したものからいよいよ収穫となる。熟成度を見分けるには、ヘタの枯れ具合がポイントだという。ヘタが完全に枯れていることが、熟しているサインというわけだ。

 収穫の季節になると、西野さんは週に3回、軽トラックの荷台に赤一色のかぼちゃを満載して出荷する。種まきは3月上旬だけでなく、ほかの畑で4月、5月にも実施する。従って、3月の畑の収穫が終われば、次は4月、その次は5月と、収穫は長期にわたる。ようやく終わるのは9月初旬。こうして、市場に3ヶ月間は途切れることなく、供給しているのである。最近では、ビニールハウスを使った栽培に着手する農家も出てきた。ビニールハウスなら種まきは1月下旬。その分西野さんよりも早く収穫し市場に出せる。また、10月まで出荷を続ける農家もあるという。市場からは、出荷時期の長期間化の要請が絶えずあり、それに応える形で農家側も努力しているのだ。

 価格は、出始めの6月だと1個が500〜600円と少々高め。7月、8月の出荷最盛期を迎えれば200〜300円と、値ごろ感が出てくる。出荷は京阪市場が中心だが、一部は東京のほうにも出回るという。
 伝統をつむいできた西野さんはいう。「何といっても甘いからね。それに見た目もインパクトがある。料理人の神田川俊郎さんが先日畑に寄られましたけど、『これがかぼちゃか、初めて見た』と、ビックリされてましたよ。手前味噌ですが、それにしても本当においしくって、見栄えもキレイなかぼちゃだと思うんですよ」。

 最近では、品種の選抜にも力を入れて、えびすかぼちゃに負けないホクホク感も出てきたという。また、家庭向けの普及を図るため、簡単にできる調理法もホームページで紹介している(http://www.kanazawa-kagayasai.com/menu/kabocha/index.html)。ピーマンのように、緑だけでなく、赤も珍しくなくなる。かぼちゃにも、そんな日がまた来るのかもしれない。

■関連情報
加賀野菜:「打木赤皮甘栗かぼちゃ」について
http://www.kanazawa-kagayasai.com/15hin/kabocha.html

 

2007年7月23日

 

 


注目記事


Copyright (C) 2006-2011 Brand Research Institute, Inc.