一方、鶏の飼育環境への配慮も半端ではない。地面には米、米糖、おが屑などを混合させたものを一面に敷き詰める。鶏の糞はバイエム菌の力で、悪臭がなく、砂のようにサラサラしたものになる上、地面に落とされた後もその発酵菌と米糠等の相乗効果により、衛生的で快適な床が作られるというのである。また、この滋養に富んだ地面は鶏の精神的なストレスをも軽減すると、姫田氏は指摘する。
実際に鶏舎を訪ねてみると、その臭いに驚かされる。鶏舎にありがちな悪臭が全くないのである。その中で気持ちよさそうに育っているプレノアールたちは、まさに「健康優良児」そのものに映る。
「一般的な地鶏の飼育日数は効率性を考慮して80〜100日に設定する業者が多い。でも、うちでは130〜150日と長く飼育。鶏が食肉として“完熟”するまで育て上げるんです」。目安は、メスであれば産卵開始前後まで飼育。その時期が体内に必須栄養分を最も多く蓄えており、味も格別になるそうだ。他方、オスは睾丸の成熟度が増し、繁殖が可能になった頃を見計らって、処置するという。
エサと環境と長期の飼育。姫田流はどれをとっても異彩を放つ。そして、その流儀を徹底して貫くことで、これも他者に真似のできない見事な肉質を生み出しているのである。
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プレノアールはヒヨコも真っ黒。ヒヨコから完熟するまで一貫して育て、処置後の鮮度抜群の肉を、店の料理、加工品として提供する |
さて、その自慢の鶏だが、18年前に育成し始めた当初からつい最近までは、現在のような「商品」として売っていたわけではなかった。直営の地鶏専門料理屋「とり姫」でのみ、焼鳥や刺身として提供していたのだ。店を開いた経緯を、妻の姫田冨由子氏が語る。
「あるとき突然、『ワシは店を始めるぞ』って、いきなり地元の津山市で店舗を借りてきたんですよ。それまで商売の経験なんて全くないし、周りからは『そんな無謀なことして失敗するぞ』って陰口叩かれるし。でもオープンまで1ヶ月もなく、とにかくやるしかなかった」。
自分が育てる安全で美味しい鶏を、お客さんに安心して味わってほしい――。そうした想いを胸に秘め、作り手の顔が見える地鶏を直接提供するという、当時では画期的なコンセプトの店を、姫田氏は周囲の心配をよそに始めたのである。
しかし、フタを開けてみれば、姫田氏の鶏は、「飛ぶ鳥を落とす勢い」で、売れに売れた。60席ある店内には、かわるがわる客が訪れ、冨由子氏は仕込みのため午後2時に店に入ると、それから真夜中の12時まで一時も座る暇がないくらい、店は大繁盛した。
「私も『主人がこんなに健康な鶏を作っている』ということを皆さんに知ってもらいたくて、必死に商売に打ち込みました」と、冨由子氏は振り返る。
夫婦で歩む“ブランド地鶏”への道
5年前には岡山駅前に2号店がオープン。その後、津山店は息子に、岡山店は娘にそれぞれ任せ、冨由子氏は、「やりたいことをやったらいい」という、育男氏の意向を受けて、3店舗目の開発に身を投じた。
「今度は和風の店ではなく、ダッチオーブンで作った料理を味わいながら、歌や演奏を楽しめるような、ライブハウス型レストランをオープンさせた。団塊の世代がフォークソングをみんなで歌ったりする、そんな店を目指しました。でも津山では都会に見られるようなそうした流行がまだきていなかった。いつも私たちはやることがちょっと早すぎるんです」。冨由子氏が開いた店は客足が伸びず、やむなく閉店となる。
だが、そこで冨由子氏の挑戦は終わらなかった。津山市の産業振興を目的に、新技術・新商品開発から販路開拓までサポートする「つやま新産業開発推進機構」が開催する勉強会に参加。同機構の支援を受けながら、プレノアールを使った加工品の開発に着手したのだ。商品化に選んだ加工方法は、冒頭でも紹介した燻製、ローストチキン、味噌漬である。平成18年2月、9月、平成19年2月の3回にわたり、津山市の他業者が開発した新商品とともに、「東京インターナショナルギフトショー」にも出品。6月には同機構が認定する「つやま夢みのり認証商品」に選出され、名実ともに津山を代表する特産品としての地位を固めつつあるのだ。
プレノアールの飼育に打ち込む育男氏は、今後の目標を次のように掲げる。
「今は年間6000羽前後を出荷しているが、将来的には鶏舎の面積を増床し、月約3000羽、年間3万羽は出せるようになりたい」。
岡山の地で限定的に賞味されてきた隠れた地域産品が、今、全国に向けて飛び立とうとしている。姫田流のプレノアールが、名古屋コーチンや比内地鶏と肩を並べる“ブランド地鶏”として名を馳せることができるのか。それはすべて、姫田夫婦の双肩にかかっている。