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見渡す限り水田が連なる光景はまるで緑の絨毯のようである。盆地特有の気候により、夏は酷暑となる |
埼玉県のほぼ中央位置する川島町は、北は市野川、東は荒川、南は入間川、西は越辺川と、町名の通り、まさに川に囲まれた島である。アクセスは、JR桶川駅からバスで30分、停留所で下車後徒歩20分、または東武東上線川越駅からバスで30分、下車後徒歩15分と、「良好」であるとは言い難い。しかし、そこは見渡す限りの田園地帯。古きよき日本の原風景が残っている。思わず懐かしさを感じてしまう。そんな町である。
その川島町で、今、ある挑戦が試みられている。地元の家庭料理として古くから伝わる「すったて」という料理を町の名物とし、地域活性化を図る計画が着々と進行しているのである。
すったてとは、簡単に言えば、味噌味ベースの冷汁うどんのことである。ただ、この地域では、ゴマやシソ、ミョウガ、タマネギ、キュウリなどを味噌とともにすり鉢に入れ、具材をすりつぶしたところに、水あるいはだし汁を入れ、そこにうどんをつけて食べる、独特の食習慣が根付いている。すなわちそうした「すりたて」のつけ汁で食べることから、それが若干なまり、「すったて」と呼ばれているのだ。
すったては、農民のお昼ごはん
川島町は四方を川に囲まれており、旧来より頻繁に洪水の被害に遭った。だが、そのおかげで土壌が肥沃になり、農業が発展。特に米どころとしての評判は高く、その名声は今も受け継いでいる。
その川島の農業を支えてきた農民のお昼の定番がすったてである。昔は打ち立てのうどんと味噌を畑に持参し、昼になると、冷えた地下水をくみ上げ、味噌を解き、畑で栽培している新鮮な野菜類を入れて、うどんとともに胃に流し込んだ。それは炎天下で作業をする農民が、重労働に耐えうるための充分な栄養を、美味しく補給するための知恵だったのである。
ルーツを辿ればほとんどが農民である川島町の各家庭には、多少の作法の違いはあるにせよ、大体同じような作り方のすったてが伝承されている。長い歴史の中で農家から転業した家庭にも、この食の慣わしだけは残っているのだ。
しかし、言うなれば冷えた味噌汁にうどんをつけて食べるようなもの。すり潰した具材との相性も想像がつかない。町内ですったてを提供する「手打ちそば 泉の里」(川島町吹塚755-1 tel.049-291-0132)で口に運ぶ直前までは、どんな味になるのか、期待もあったが、不安も大きかった。
婿入り先で出されたすったては意外にも「うまかった」
「僕も最初は正直同じ思いでした」と、川島町商工会で経営指導員を務める宮下成和さんは話す。宮下さんは元々名古屋の出身で大学卒業後はOA機器メーカーに就職。営業マンとして東京で働いていた。しかし、平成14年、川島町出身の女性と結婚するのを機に退職し、同町に移り住むことになる。そして夏に妻の実家で義母に出された料理がすったてだったのだ。宮下さんは食べるのをためらった。だが、婿に入った立場上、口にしないわけにいかない。恐る恐る箸をつける。するとどうだろう。これが意外にも「うまかった」のである。
「まず暑い中で食べる氷を浮かべた味噌味のうどんが非常に新鮮で美味に感じた。それに山盛りに入っている薬味との相性も良くて、これがいくらでも口に入ってしまうんですよ。僕はすっかり魅了され、これは広めればきっと町の特産物になると、当時はそんなことを頭で考えていました」。
宮下さんのすったて初体験を一通り聞いてから、「手打ちそば 泉の里」でそのものを口に運んでみた。その言葉に偽りはなかった。適度にすり潰されたタマネギやキュウリ、ミョウガ、シソはゴマとともにうどんに絶妙にからみ、口に入れた瞬間、それぞれの持つ風味が間髪入れず、一斉に広がったのである。非常にさっぱりしているので、いくら食べても飽きがこない。次から次へと口に運び、スルスルと流し込み、あっという間に完食した。日本でも有数の酷暑地帯で食べる薬味タップリの味噌冷汁うどんは、確かに美味しかった。
すったての地域ブランド化計画始動
宮下さんが、頭に描いた「すったて特産品化戦略」に本格的に着手したのは、平成18年9月ごろからである。15年4月に商工会に就職。地場企業の決算報告書や確定申告の作成指導など、今までとは全く畑違いの業務に悪戦苦闘しながら取り組み、ようやくそのメインの仕事に慣れたのを見計らい、自分のビジョンの具現化に向け、動き始めたのだ。
まず宮下さんは埼玉県庁に提案書とともに補助金の要請を出す。この要請が通り、平成19年3月に、町内の約50店舗の飲食店に対して、正式にすったての地域ブランド化プロジェクトを案内し、メニュー化を打診する。それに呼応し、最初は5〜6店舗が名乗りを上げ、さらに宮下さんと、同じく商工会に勤務する森光一さんが一つひとつの店舗を丁寧に回り説明した結果、16店舗のプロジェクトへの参加が決まった。
それを受けて4月末には賛同した飲食店向けに試食会を兼ねた説明会を開催。また、5月中旬にはブランド総合研究所の田中を招いて地域ブランドの講習会を実施。講習会後には、田中などをプロジェクト参加店に案内し、すったての試食会も開いた。
情報番組での紹介が転機となる
商工会では、16店全店に対し、7月1日から完成した料理を提供できるように要請。各店は試行錯誤を重ね、期限を守り、その日までにすったてをメニューに載せた。商工会側もすったてののぼりを制作し各店の店頭に掲げたり、提供店がひと目でわかる「すったてMAP」を作成し、町役場や農協の直売所、飲食店で配布するなど、側面からサポートした。
その間、商工会にとって転機となる出来事も起こった。6月21日にNHKが11時からの首都圏向け番組「こんにちは いっと6けん」で、宮下さんの取り組みを特集して放送。放送中から事務所内の電話が鳴り始め、提供店や作り方の紹介依頼、激励のメッセージが数多く寄せられたのだ。
「電話での問合せは1週間くらい続きました。テレビのパワーをまざまざと実感しましたね。放送後は新聞各社の取材もコンスタントに入るようになった。店への反響もあり、ランチのオーダーのほとんどがすったてになった店や、土日は地元の常連客がほとんどを占めていたのが半分以上新顔のお客さんになった店など、どこの店でも何かしらの反応があったようです」。
冬場の名物料理も開発し、提供
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「手打ちそば 泉の里」のすったては900円。ゴマ、味噌、タマネギ、キュウリなどをすり潰しうどんに絡めて食べる。非常に美味 |
商工会では、販売開始以降もすったてのPRに余念がない。8月初旬には大型ショッピングセンターの敷地の一部を借りて、すったての試食会を実施。2日間で約1400食を無料で配布した。
「食べ残しは全くなかったですね。初めて食べて早速家で作ってみるという方や、子どもが美味しいといっているので作り方を教えてほしいという方もいた。反応は良かったですよ」と宮下さんは、胸を張る。
「ただ、飲食店を集めて提供するだけでなく、他の地域で真似のできないような統一の付加価値を付けて展開してことが重要ですね。これは5月の地域ブランドの講習会を聞いて絶対に取り組む必要があると感じたことです」(宮下さん)。冷汁で食べるすったては夏限定とし、9月末をもってひとまず販売を終了するが、来年5月にはまた販売を再開する。そのときまでには何らかの付加価値を確立する計画である。
また、冬場の名物料理も開発するため、プロジェクトチームを編成。川島町に伝わる郷土料理「呉汁」をベースにした「かわじま呉汁」を完成させた。かわじま呉汁は、すりつぶした大豆と、芋がら(里芋の茎の皮をむき天日で乾燥させたもの)、10種類以上の野菜を土鍋か鉄鍋で煮込んで、熱々のまま提供するもの。町内の13店舗が2007年12月〜2008年3月までメニューに載せる。早速新聞やラジオなどで紹介され、反響を呼んでいるようだ。
すたってに続く、第2、第3の観光の目玉を
そして、宮下さんの地域振興計画の構想はさらなる広がりを見せる。将来的には「都会に一番近い農村」をうたい文句に、田舎暮らしや野菜作りに憧れる都会在住の人々を対象とした、農業の体験イベントを随時開催。すったても、昔の農作業での習慣にあったように、そのイベントの中で食べられるようにする。これは、農協や町役場と連携し、町ぐるみの地域活性化策として展開することを目指す。
平成19年度中には圏央道の川島インターチェンジが開設される予定で、車を利用した都心からの観光客の流入にも期待がかかる。「そのための受け皿をすったて以外にも続々と打ち出していく」と、宮下さんは意気込む。
2008年5月からまたすったての季節が始まる。すったては、農林水産省主催の「農山漁村の郷土料理百選」の1つにも見事選ばれた。そのPR効果も見込め、今年はより客足の伸びが期待できそうだ。
関連情報:
川島町商工会ホームページ
http://www.kawajima.or.jp/